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前田優輝・勝汰 ”前田兄弟の一念、岩をも通す”

2015.10.18
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「自分が優勝するという気持ちを、心の芯から持ちたい」(優輝)
「背負っているという自覚を持てば、絶対に心は折れない」(勝汰)

和歌山支部黒岡八寿裕 支部長
「普通の選手では考えられない努力を、彼らは15年以上 積み重ねてきた」
「体格的に見れば、彼らが世界大会の日本代表なのは私も信じられないくらいなんです。いつも少年部の生徒に言っていることですが、前田兄弟が小中学生の頃はお正月以外、毎日稽古をしていました。勝汰は足を骨折した時でも道場にイスを持ってきて、そこに座ってサンドバッグを叩いていました。普通の選手では考えられません。そういう努力を、彼らは15年以上積み重ねてきました。体格に恵まれていなくても、空手の神様が『おまえらの努力は認めるよ』と、守ってくれているのかもしれないですね。世界大会でもこれまで通りの強い信念を持って、闘ってほしいと思います」

父 前田典昭 氏
「今までやってきたことを出せれば 成績もついてくると思います」
「世界大会に兄弟揃って出場させることを目標にやってきたので、実現できてうれしいですね。ただ、出るのは最低限の目標で、世界大会で勝ちにいくことが本来の目標です。理想はもちろん、ふたりで決勝を闘うことですね。指導をする時は、ちょっとしたことでもいいから毎日、必ず向上させることを心がけています。昨日と同じ稽古にはしない。内容は同じでも、少しずつできるようにしていく。その積み重ねを毎日毎日やってきました。今までやってきたことをしっかり出せれば成績もついてくると思うので、ふたりには自信を持って試合をしてほしいと思います」


――今号では「武道」についての考えを聞かせていただきました。
優輝「『強さは優しさなり』というのは、自分が空手を経験した中で実際に学んだことです。武道ならではの厳しさや恐怖心を乗り越えていく中で、心の強さを身につけることが、心の広さや優しさにつながってくるんじゃないかと思いました。全日本の合宿とかで知り合った先生方や先輩方の振る舞いを見ていても、それが武道を追究している人にとっての伝統というか、共通している部分かなと自分は思います」
勝汰「自分は稽古や試合中に、心の中で葛藤があるんです。ここで前にいかないといけないとか、効かされても下がったらダメだとか。そこで自分に負けてしまったら、試合は負けるし稽古だったら強くなれないですからね。心の中の闘いに勝っていくことで初めて成長できると思いますし、それが自分にとっての武道だと思います」

――わかりました。まずは優輝選手から、第11回世界大会の日本代表入りを決めた感想をお願いします。
優輝「ホッとしたと同時に、世界大会での優勝を目指して気持ちも切り替わりました。大会後は日本代表合宿があったので、そこに向けてもしっかり準備をしていました。合宿ではまわりの選手から刺激を受けて、また一段と世界大会に向けての気持ちが整いました」

――第2回JFKO全日本大会では、中量級で連覇をはたしました。
優輝「大会前の課題だった、相手の攻撃をできるだけもらわずに自分の攻撃を積極的に当てていくことは、去年よりはできたかなと思います。でも、まだまだ完璧ではないので、世界大会までにさらに完成度を高めていきたいです」

――勝汰選手は初の世界大会出場になりますね。
勝汰「本当はJFKOで優勝して出たかったんですけど、気持ちを切り替えて大会が終わった次の日から稽古を始めました。合宿では、大会で当たった加藤大喜選手とも組手をして、試合で足りなかったと思う部分を試すことができたので、すごくいい稽古の場をいただけたなと思います」

――JFKO全日本大会では、話にも出た加藤大喜選手と軽重量級の決勝で闘いました。
勝汰「加藤選手とは毎回ギリギリの闘いになるんですけど、結果は負けているので、最後の気持ちの部分が足りなかったんだと思います。世界大会では今よりさらに動けるようにして、それプラス上段の蹴りも出したいですね。外国人選手は背が高いので、手を下げてボディをガードされたらほとんど突き蹴りが当たらないので、上にも振れないといけないと思います」

――兄弟揃って世界大会へ出場することに関しては、どう感じていますか。
勝汰「世界大会は小さい時からの夢だったので、その舞台に立てるのはすごくうれしいです。決勝でお兄ちゃんと闘って、自分が勝って優勝できたら一番いいですね」

優輝「自分自身も負けず嫌いですし、弟も負けず嫌いなのはわかっているんですけど、世界大会の優勝は譲れません。普段の稽古を一緒にしているからこそ、稽古でも負けないようにがんばっています」

――稽古でも互いを意識しているんですね。
優輝「しますね。たとえば、制限時間内で腕立て伏せが何回できるかとかでも、弟より回数を多くしたいという気持ちでやっています」
勝汰「負けたくない気持ちがあるので、ステップの稽古でもふたりでやったほうがスピードも速くなりますし、回数も多くなりますね」

――ここであらためて、空手を始めたきっかけを教えてください。
優輝「僕が5歳の時に、お父さんに道場に連れて行ってもらいました。初めは野球をやらせようと思っていたらしいんですけど、体が小さくて気も弱かったので、まずは空手で鍛えようと。でも、何年か経っても試合で負け続けて、そこからお父さんに火がついてしまったんです(笑)。それまでは週3回の道場の稽古に、普通に行っていただけでした」
勝汰「僕も5歳から始めたんですけど、試合で勝てなかった時に『ホンマに勝ちたいんだったら父ちゃんも真剣にやるから』と言われました。物置だった場所をきれいにして稽古ができるようにしてから、毎日地獄の稽古が始まって(笑)。僕は小さい時は体が大きいほうでごつかったので、試合に出ても週3回の稽古で3位とかには入れていたんですけど」
優輝「僕はもう全然……」
勝汰「体も小さかったよね」
優輝「背の順で一番前とかでした」

――空手自体は好きだったんですか。
優輝「好きとまではいかなかったですね。何とも思わずにやっていました」
勝汰「僕は勝てるし、好きでした」

――空手を始めてからも、兄弟ゲンカはあったんですか。
優輝「そこは一般的な感じで」
勝汰「殴り合いましたね。でも、やっぱり空手をやっているからか、顔面パンチなしという暗黙のルールがあって(笑)。兄弟で空手をやっている人はけっこうあるみたいです。(河瀬)俊作先輩ともそんな話になって『ケンカになっても顔面は殴らんな』みたいな」

――そこだけは普通の兄弟ゲンカと違いますね。
勝汰「ちょっと顔面に当たったら、『おまえ、それは反則やろ!』みたいな(笑)」

――お父さんの指導が始まってから、試合で結果が出るようになってきたんですか。
優輝「僕はなかなか変わらなかったです。優勝というより、3位入賞で大喜びという感じでした。絶対に優勝しなければいけないという責任感は持っていなかったです」
勝汰「僕は家での稽古が始まってから、一気に勝てるようになりました。その頃は負ける気がしなかったですね。トーナメント表を見て、優勝するまでに何戦あるかを毎回数えていました」

――兄弟で対照的だったんですね。優輝選手は勝汰選手への悔しさは感じなかったんですか。
優輝「あまりなかったですね。学年も違いますし、弟は優勝して当たり前という感じでしたから。たまたま自分の学年の和歌山支部は、強い人が多かったというのもありました。(落合)光星も当時から強かったですし、他にも森下穣とか、ジュニアチャンピオンが同じ学年に何人もいたので。だから中学生の時に、初めて弟よりも成績で上回った時はうれしかったですね」

――学年が違うため兄弟対決はほとんどありませんでしたが、過去に1度だけ試合をしていますね。
勝汰「僕が中1でお兄ちゃんが中3の時に、全中部大会の決勝で闘って、お兄ちゃんが勝ちました。一番、体格差が開いた時やな?」
優輝「そうだね。僕は中2の終わり頃から身長も一気に伸びて」
勝汰「15㎝くらい違いました」
優輝「弟と闘うというので、より緊張しましたね。やっぱり一番負けられない相手なので」
勝汰「僕はいつも通りでしたね」

――優輝選手が飛躍するきっかけは何だったんですか。
優輝「やっぱり、まわりの雰囲気が大きかったと思います。弟は絶対に優勝するし、ひとつ年下で同じ道場だった細川将大も優勝するし、そろそろ僕もしないと先輩として恥ずかしいみたいな。それで中学1年生の時に、全中国大会で初めて優勝することができました」
勝汰「でも、その時はまだ今のような〝空手の鬼〟という感じではなかったね」
優輝「中学生の時は、まだ気持ちに波がありました。やる気がある時はいいんですけど、なくなったら負けていましたし」
勝汰「ウエイト制初優勝の1年前くらいからですね、今みたいに稽古でいっさい手を抜かなくなったのは。ホンマに何があったんかなというくらい、急に人間が変わりました。ずっと一緒にいる僕でもわかるほどの変わりようでしたね」
優輝「高校2年生の全関西大会で負けてからですね。それをきっかけに、今でもはっきり覚えているくらい稽古をがんばりました」

――それまでの負けと何が違ったんですか。
優輝「久しぶりの一回戦負けということもあったと思います。応援してくれる人がまわりにたくさんいたのにあっさり負けてしまって、本当に申し訳ないという気持ちが生まれてきたんです」

――「人のために」という思いが、優輝選手を変えたんですね。そして優輝選手は高校3年生の時に、第26回全日本ウエイト制大会軽量級で初優勝を飾りました。
優輝「厳しい稽古をずっとしていたので、努力が報われることを体感できて、自分でもシビれました」
勝汰「まさか優勝するとは思わなかったね。正直言うと、その時は2日目に残れるかどうかだと思っていたので、びっくりしました」
優輝「まわりの人も驚いていました。会場にいた人の中で、お父さん以外で優勝すると思っていた人はいなかったんじゃないですかね」

――そこから3連覇をはたし、第10回世界大会にも出場しました。
優輝「その時は稽古もしっかりできていたので、自分の力を出し切ったらどこまでいけるんだろうというワクワク感がありました」

――勝汰選手は試合場で闘うお兄さんを見て、どんな心境でしたか。
勝汰「悔しい気持ちとがんばってほしい気持ちが半分半分でしたね。190㎝くらいあるデニス・エルショフ選手にも勝って、すごいと思う反面、悔しさもありました」

――翌2012年、優輝選手がケガで欠場したウエイト制で、勝汰選手が中量級初優勝を飾りました。
勝汰「ようやくでしたね。一般部の試合に出るようになってからは勝てていなかったので。地方の全関西大会とか和歌山県大会とかに出て、しっかり力をつけてようやく優勝できたという感じでした」

――切磋琢磨してきたおふたりですが、互いのすごいと思う部分はどこですか。
優輝「弟は、稽古の最高の状態をそのまま試合で出せているような気がするんですよ。緊張がないのかなと思うくらい、試合を楽しそうにやっているというか。そういうところがうらやましいですね」
勝汰「自分では緊張しているつもりなんですけど、他の人と比べると少ないほうなのかなと思います。お兄ちゃんは、たとえケガをしているような状態であっても、試合で最後まで心が折れない気持ちの強さがすごいと思います」

――おふたりにとって、お父さんはどんな存在ですか。
優輝「最高の指導者だと思います。家での稽古が始まった頃から、稽古の中でもしっかり目標を持たせてくれて、あきらめない姿勢を教えてくれたのも大きかったですね」
勝汰「昔は本当に怖かったです。お父さんも空手のことは何も知らない状態から始まったので、いろいろ勉強して稽古メニューを考えてくれたんだと思います。基本的に、家では基礎体力をつける稽古がほとんどで、基本とか技術的なことは御坊道場で教えてもらいました。どっちもあったから強くなれたんだと思います」
優輝「道場では技術面の他に、精神的な部分も学びました」

――家と道場のふたつが、今日の前田兄弟をつくったんですね。
優輝「黒岡(八寿裕)師範はすごく愛情を持って指導してくださいますし、もしかすると、自分たちの平常心は師範から学んだのかもしれません。師範はポーカーフェイスというか、稽古でもそんなにガツガツ言うタイプではないので」
勝汰「声を荒げることはないですね」
優輝「たまに的確な指示、アドバイスをいただけるという感じです」

――最後に、あらためて世界大会への意気込みをお願いします。
優輝「必ず優勝します。昔からお父さん、弟と世界大会優勝という目標、夢を背負ってきたので、しっかりかなえられるようにがんばります。自分が優勝するという気持ちを、心の芯から持ちたいですね。日本の王座死守は、これまでいろいろな世代の方がつないできてくれたものなので、ここで海外に流出させるわけにはいかないという気持ちもつねに持っています」
勝汰「絶対に優勝するという気持ちと、日本代表という立場で出るので、日本のみなさんの期待に応えられるように、いろいろなものを背負って世界大会の舞台に立ちたいです。背負っているという自覚を持てば絶対に心は折れないと思いますし、そういうことをしっかり考えて臨みたいと思います」

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