私が空手を始めたのは、幼稚園の年中5歳の時です。
父親の勧めで、空手を始めました。(最初は新極真ではありませんでした)
もちろん、始めたころは何が楽しいのかわからず、ただ面倒くさいなあと思いながらやっていたというのが正直なところです。
でも柔軟体操を続けているだけで、足の開脚がだんだん開いていったのは、それだけでもすごく価値があったのだと、今はそう思っています。
その後、先生や父親に鍛えられ、徐々に試合にも勝てるようになってきて、全国の空手の大会を回るようになりました。
毎週のように大会に出場し、北は北海道、南は九州まで、いろいろな大会に出場し、何回か優勝することもできました。
私としては、ただ親に言われるまま何の疑問も感じずやっていただけで、あまり細かいことは記憶がないのですが、負けた時は、とんでもなく悔しかったことだけをよく覚えています。
負けて、そのまま試合場で大の字になって泣き叫んだり、退席する際、十字も切らずに、ヘッドギアをたたきつけて、親に八つ当たりしてあばれていたこともありました。
今から思うと考えられない行動ですが、その時はただただ悔しくて、それ以上のことは何も考えられませんでした。
そんな私ですが、小学5年からは、現在の新極真会静岡西支部に入門することになり、今に至っています。
その後、小学6年の夏に、親の勧めもあって、スイスに留学することになったときには、空手がそれまでのようには続けられなくなることを少し悩みましたが、一応スイスに留学した後も、それなりの形で空手を続けることができています。
もちろん練習量は、日本にいた時には比べものにならないくらい減ってしまいましたが、続けていくことに価値があると思っています。
日本に帰って来られるのは、夏休み、冬休みのほか、短期の春休み、秋休みくらいに限られますので、帰ったときは、できる限り道場に出て稽古をするように心がけています。
しかし昇段審査は、帰国時期と合わないこともあり、なかなか受けることができないでいました。
そんな中、今回、永島師範、松村分支部長のご配慮で特別に審査日を設けていただき、昇段審査を受けることができたことは、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
実際、十人組手は想像していたよりもはるかにきついものでした。
スタミナにはかなり自信があったので、まあ大丈夫だろうと甘く考えていましたが、5人目あたりから、急に血の気が引いてきて、最後の2,3人はあまり記憶がないような状態でした。
後で父親に聞いたとき、「最後まで、しっかり動けていたぞ。」と言われたので、ほっとしました。
やはり長く続けてきた空手で、夢にまで見た黒帯を取るのだから、最初からセーブせず、全力を出してやり遂げたいと思っていたので、その点においては自分なりに満足できました。
そうして今回、とうとう黒帯をいただけることになりましたが、まだまだいろいろな点で未熟だらけだと思っています。
本当に黒帯を締めるのにふさわしい男となれるように、今後も自分なりに一生懸命修行を続けていきたいと思っています。
静岡西支部
支部長/責任者:永島文秋
静岡西支部ホームページ