――第11回世界大会の代表入りを決めた感想を聞かせてください。
「小さい頃から夢見てきた大会なので、すごくうれしかったですね。父も自分たち兄弟の中から、誰かひとりでも世界大会に出場することが夢だったみたいです。佐賀筑後支部からは初めての出場になるので、楠(愼吾)師範にも本当に喜んでいただいて『佐賀のみんなに夢を与えてくれてありがとう』とおっしゃっていただきました」
――選抜戦となった第2回JFKO全日本大会は、2年連続で前田優輝選手と決勝を闘い、こちらも2年連続で準優勝でした。
「結果に満足はしていないですけど、決勝で前田選手と闘えたのはうれしかったです。準々決勝の前に、今年は前田選手のほうから『また決勝で闘おう』と言ってくれたので、そこでまた燃えましたね」
――昨年は河瀬選手から『決勝で闘いましょう』と声をかけたのが、今年は逆だったんですね。試合中盤までは互角の展開でした。
「前半はこのままいけるかもしれないと思ったんですけど、後半にボディをタイミングよくもらってしまって、勢いに飲まれた部分がありました。前田選手も準々決勝は少し苦戦していたのでダメージもあったと思うんですけど、決勝であれだけ動けることへの尊敬の気持ちも大きいです。だからこそ超えたいですし、勝ちたいですね」
――世界大会までのテーマは?
「緑(健児)代表は、軽量級であることを感じさせない闘いで世界チャンピオンになりましたよね。自分も無差別級では小さいほうなんですけど、緑代表のようにしっかり外国人選手と打ち合える体をつくって、世界チャンピオンになりたいです」
――第5回カラテワールドカップの代表入りを逃し、一時は空手をやめることまで考えるほどのどん底を経験しました。世界大会の日本代表となった今、あらためて当時を振り返っていかがですか。
「あそこまで落ちたから、あの時の経験があったから今のおまえがあるんだぞとまわりの人たちからも言われました。本当にあの時の自分は空手の話を家でされるのも嫌なくらい、空手から逃げたいという気持ちだったんです」
――そこから、どのようにして這い上がったのでしょうか。
「それまでは自分がやりたいようにやるという感じで、父に反抗しているような部分もあったんですけど、自分から父に『一からやり直したいから稽古を見てください』とお願いしました。そこから父が一日中稽古してくれて、第30回のウエイト制で優勝することができたんです」
――お父さんの存在が大きかったと。世界大会に出場できなかった、兄の優太朗選手や弟の惇志選手の思いを背負う気持ちもありますか。
「ありますね。JFKOが終わってから兄や惇志、一番下の弟の慶大、父もそうなんですけど、仕事の面や稽古の面でもサポートしてくれているので、出場するのは自分ひとりなんですけど、家族みんなで一緒に闘うという気持ちです」
河瀬俊作「家族みんなで一緒に闘うという気持ちです」
2015.10.22
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