私の空手道人生
「感謝」
心の奥底から湧き上がるほどに感じたことが、私の人生であっただろうか?
この度、昇段審査を受けさせていただくにあたり、許可していただいた黒岡師範、ならびに滝先生、分支部長の先生方、そして応援に駆けつけて下さった道場生、父兄の方々、組手の相手をしていただいた方々に深く感謝するとともに、厚くお礼を申し上げます。
今、この時を迎えるにあたり、感慨深い思いがこみ上げてきます。ここに至るまでの長く遠い道程、と言うより自分で遠回りしてしまい、50歳を超えてようやく空手の成人式を迎えることができました。
思えば、大山倍達という神様に強い憧れを抱き、1979年春、18歳で訳もわからず、ただ東京に行けば総本部があるという思いだけで、和歌山から出てきました。
やっとの思いで着いたものの、怖くて中に入れず、何度も玄関前を行ったり来たりしているうちに、中にいた人に不審がられ呼び止められて、冷や汗かいたことが今でも懐かしい思い出として残っています。
それから横浜の道場を紹介していただき、そこで木元師範、長島師範らと出会い、指導していただきながら、ともに稽古にはげみました。私の空手道人生の始まりです。
学生時代から野球をやっており、礼儀や運動力には自信がありましたが、入ってみるとまるで想像とは違い、戸惑いと不安に苛まれながらも「いつかこの道場で一番強くなってやるんだ!」と意気込んだものでした。
辛くとも楽しい空手生活を送っていた矢先、忘れもしません。1994年4月26日、神様、大山総裁が亡くなられたと一報が入り、俄かに信じられませんでしたが、日を追うごとに状況を受け入れなければならない様になってきました。何をどうしたらいいのかまったくわからず、ただただ、何度かお会いした時に感じた神の力と、ゴッドハンドの手のぬくもりを懐かしむことしかできませんでした。
その後、私自身、糸の切れた凧のように方向性を失っていき、何となく道場から、そして空手から遠のいてしまいました。
仕事もうまくいかず、和歌山に帰って細々と暮らしていましたが、空手のことは忘れられるはずもなく、自宅の庭先で2人の息子に、私の知っている限りの空手を教えたりしていたのですが、中途半端な父の教えでは限界がありました。
横浜の木元先輩に相談し、黒岡師範を紹介していただき、近くの六十谷道場にお世話になることにしました。私は最初父兄として稽古を見守っていましたが、滝先生に勧められ、自分も空手の道に戻ることを決意しました。
しかし、時すでに遅く、復活するには私は齢をとりすぎていました。頭は過去の思いがあるのですが、体がまったく動かず、息も絶え絶えで、とても空手をできる状態ではありませんでした。それでも「息子たちに父の背中を見せなければ……」という強い思いから、腰痛を抱えながらも毎日稽古を続けていくうちに、それなりに動けるようになってきました。
滝先生のお心遣いとご指導していただいたお陰です。私の人生で滝先生に出会えたことは、心の底から感謝しております。
また、今では逆に息子たちに引っ張ってもらい、稽古をがんばれることに感謝しています。そんな私にチャンスを与えていただき、この度、長年の夢だった昇段をお許しいただき、身にあまる光栄です。
審査は、予想通り散々なものでした。10人組手では、今何人目なのか、相手が誰なのかもわからないほど、極限状態でしたが、何とか10人完遂することができました。
黒岡師範から、その場で昇段をお許しいただき、目の前が涙でぼやけてしまいました。師範に「これからは黒帯を締めて、皆の見本となるよう、心を引き締めて振舞うこと。また黒帯の中は白いです。中まで黒くなるよう精進するように」とお言葉をいただきました。このお言葉が強く印象に残り、自分自身そうあり続けられるよう心に深く刻みました。
空手の成人式を終えた今、黒帯を締めていることを自覚するとともに、これからが空手人生の始まりであることを念頭に置き、日々精進していこうと思います。本当にありがとうございました。
この道より我を活かす道なし
この道を行く
押忍
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