この度は初段へ昇段をお許し頂きありがとうございます。
自分にとって黒帯を取るということは空手を始めた時からの目標であり、また必然でなければならないことでした。
2011年の震災の余波真っ只中の4月初め、我がホームタウンである湯島の地に砂川先生が世間の自粛ムードの中、開設した当時お茶の水道場にチラシを見て入門。
私は言わば砂川道場一期生です。
格闘技、特に極真空手への憧れは学生の時分からありましたが、縁がありませんでした。
そんな中、自分の住む街に向こうからやって来てくれた新極真空手。
これは始めないという選択肢はないと考え、即座に入門を決めました。
当初、好きだった格闘技を実際に行える稽古は楽しく、また当時会社における人間関係が自分ではどうにも出来ないレベルで最悪だったこともあり、空手の素晴らしい仲間たちと稽古を通じて交流出来る道場は、自分にとって最高に居心地の良い場所でした。
茶帯を取得するまでに約3年、1級になったのは2015年冬の審査でのことでした。
壮年で始めた人間としては早い方ではなかろうかと思います。
その辺りから本来黒帯取得に向けギアを一気に上げなくてはならない中、逆に徐行運転をおよそ4年に渡り行なってしまいました。
理由については仕事を独立したり、空手以外の色々な交友関係が生まれたりと決してネガティブなものばかりではないのですが、自分の中から空手に対する情熱が失われていたのは明らかでした。
器用貧乏というのか自分の特性として、何ごとも興味を持ちある程度までは行くが、その1歩上に行くためのモチベーションが保てないという一面があります。
砂川先生は最初の頃に自分がそんな話をしたことを覚えていて下さり、この空手であなたはそれを破るべきだと説いてくれました。
審査に向けた稽古を通して、細部の動きの中に空手の奥深さ、面白さ、そして自分の技術の未熟さを再確認しました。
連日、この壁を乗り越えるためにと、必死で食らいつきました。
審査の前日稽古は、その週に亡くなった祖母の葬儀が急遽入り、参加することが出来なくなりぶっつけ本番となりました。
しかしながら自分は審査前の先生との稽古を通じて、完全に今の自分と向き合うことが出来たので、不思議と緊張はなかったように思います。
審査は言うまでもなく過酷なものでしたが、無心でやり切りました。
合格者として緑師範に自分の名前を呼ばれた時、嬉しさより先に心から安堵しました。
これで空手を続けられる、と。
冒頭に自分にとって黒帯は必然と書きました。
自分は別にすごく強い選手でも何でもありませんが、先生から黒帯になれる人だと言われて、そのつもりで空手に取り組んで来ました。
そんな人間が黒帯を諦めてしまったら、一生自分自身や周りに言い訳をして生きることになります。
空手の仲間とも本音で話せなくなってしまい、道場に居場所もなくなることを意味すると本気で考えました。
最後は自分自身との戦いでした。
空手は人間を色々な意味で強くしてくれます。
最後に謝意を述べたいのですが、空手を始めなければ出会えなかった数々の顔が無数に思い浮かび書ききれません。
これまで本当にありがとうございました。
新極真会の黒帯に恥じないよう修行を続けて行くことで、恩返しをして行きたいと考えています。押忍
※東京お茶の水支部情報はこちらよりご確認下さい。