人は80歳まで強くなれるとある高名な空手家がその著書で述べています。
また大東流合気柔術の武田惣角は晩年脳卒中で半身不随になりながらも、以前と変わらず片手で大男を投げ飛ばしたといわれています。
其の弟子である植芝盛平は「先生の全盛期は何歳ぐらいの時ですか。」との問いかけに「私の一番強い時は死ぬ間際だ」と答えたそうです。
武道修行者にとっては含蓄のある逸話だと思います。
70歳を目前にして最近は老いを感ずることが多くなりました。
体力は年々衰えていくのが自然の理でしょう。
しかしいざというとき最低限の身を守る技と勇気を維持する事が肝要だと思います。
競技空手では選手として現役を引退すると、目標を失い空手をやめてしまう人もいます。
あるいは選手時代の経験を基に後輩の指導だけに専念する人もいます。
あるスポーツ指導者の懇親会で、寸止め空手の先生が「自分のところは弟子が優秀なので自分はやることがなく、相撲部屋の親方よろしく黙って稽古を見守るだけです。」と半ば得意げにの賜った。
弟子と自分のクラブの隆盛を自慢したかったのだろうが、そこには武道家としての矜持を微塵も感じられることもなく、ただ競技空手としての思考停止があるのではと思われました。
事実、その先生は稽古中は父兄さんと談笑し、ほとんど体を使って指導する場面は見られませんでした。
当然全体的に緊張感もなく単なる自主トレーニングかと見まがう稽古内容でした。
指導者であっても生涯一武道修行者として率先垂範し生徒とともに精進する姿勢が大切なのではないでしょうか。
空手道は本来総合武道として伝えられてきたものです。
顔面攻撃、つかみ、対武器、あるいは複数の相手からの攻撃などあらゆる場面でも適切に対処しなければなりません。
競技では使えないたくさんの技がそこには存在します。
現役を退いてからの空手を考えてみましょう。
原点に帰って基本や型の中に武としての理念を見出し、効果的な体の使い方あるいは力の出し方を学ばねばなりません。
特に型は先達が実際に使った技と実戦では使えないが、鍛錬のために組み込まれた動作や技があると思われます。
ひとつひとつの技を分解しそこにある先達の意識に触れるまで稽古せねばなりません。
自然体で脱力して技を出す。
最少の動きで最大限の効果を生み出す。
口で言うのは簡単ですが実際己の体で体現するのは並大抵のことではありません。
若い者との組手の中でも学んだものが生かせるよう日々研鑽していかねばなりません。
そして息吹きで全身の血流を良くし頑健な健康体を創り上げましょう。
実戦空手でありながら大山総裁が基本、移動稽古、型を残してくれたことは慧眼だったと思います。
総裁が初段、弐段は先輩、参段からが先生と呼ぶんだよとおっしゃっていました。
参段の帯を締めたら慢心せず稽古に励みたいと思います。
後輩の指導にも基本を大切にし、正しい理念をもって教えていきたいと思います。
最後に一日でも長く空手に携わっていきたい思います。押忍
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