目の前では、1級昇級挑戦の連続組手が繰り広げられていました。
「次は自分の番だ」
心なしか足が震えていましたが、その理由は、直前の基礎体力審査でのスクワットのせいだけではありませんでした。
激しい組手を目の当たりにして、気が遠くなる思いがしました。
「自分は、10人完遂できるのだろうか?」そんな弱気が心によぎった瞬間、「戸嶋康人」と、ついに自分の名前が呼ばれました・・・。
元々自分は、全くの無名の小さな流派に9年間所属していました。
その流派を辞めた理由は、妻の「最近帯の色に胡坐をかいていない?」という一言でした。
9年間で帯の色は黒くなっていましたが、その頃は稽古もただ漫然と出ているだけで、惰性で続けている状態でした。
妻の一言は正に的を射ていて、「自分は何のために空手を続けているのか?なぜ空手を始めたのか?」と自問し、環境を一新する必要があると痛感したのでした。
「もう一度、白帯からやり直そう。憧れだった極真に入り、根本から鍛え直そう。」そう決意したのが、40歳の4月でした。
前の流派が、少林寺拳法を源流とする流派であったため、基本も移動も型も、技術体系が全く異なり、入門当初は戸惑いの連続で、なかなか稽古になじめませんでした。
自分は決して器用な方ではなく、何をやっても人の何倍も時間がかかる質です。
「空手は自分のためにやるもの、他人との比較ではない」と、自分に言い聞かせながらも、中々級が上がらなかったり、組手も型も上達しない自分に苛立ちを覚えたり、仕事やプライベートの関係で思うように稽古に出られない時期もあり、何度も挫折しそうになりました。
「自分には無理なんじゃないか」と、空手そのものを諦めてしまいそうなことも何度もありました。
しかし、そんな弱い心の自分を今まで支えていただいたのは、師範であり、先輩、道場生の皆様の存在でした。
それから16年。
今回幸運にも山本師範から昇段審査受審の許可をいただき、いよいよ当日を迎えました。
自分は特に型が苦手だったのですが、審査の数か月前から山本師範がマンツーマンで指導していただき、審査当日は自信をもって行うことができました。
そして体力のない自分にとっての最大の難関、10人組手。
内容は散々であり、最後は突きも蹴りも出せないような情けない状態でしたが、先輩、道場生の皆様の声援で何とか完遂することができました。
何よりも、山本師範自らが相手をしていただき、組手中は感極まる思いでした。
こんな至らぬ自分に昇段の許可していただいた山本師範には本当に感謝の念に堪えません。
これからも山本師範と偉大な諸先輩方の大きな背中を追いかけ、道場生の皆様と共に汗を流し、少しでも埼玉大宮西支部の力になれればと僭越ながら思う次第です。
16年経って、今ようやく、新極真会の門下生となれた気がしています。
これからも、より一層精進いたします。押忍
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